※この記事には広告が含まれています。
前回からの続きです。(前回の記事はこちら)
この記事では、わたし(このブログの管理人)の名前を「電磁波たかし」と設定します。書き進めていくと、下の名前を設定しとかないとどうもしっくりこなくて・・・。
パート1と同じお願いごとを再掲します。
この記事に登場する人物(わたしを含む)が誰なのかわかった場合でも、(ブックマーク)コメントやSNSでの拡散時に名前は出さないでください。
わたしはしょうがないとしても、わたし以外の登場人物を非難したりディスったりしないでください。切なるお願いです。(現在、わたしは、この記事に登場しない別の女性と結婚し子どもも持つことができました。相手も別の男性とお子様との幸せな家庭生活を送ってらっしゃるはずです。)
大前提として、記事に登場する方々へ、ここに書いてしまうことをお詫びします。ごめんなさい。
4.彼女の闘い
彼女の闘いとは。
それは、彼女の両親に対してです。
彼女のご両親に結婚の了承を得るためにお会いする待ち合わせに、ボクは遅刻しました。
そんなボクのせいで、彼女は、ご両親に相当怒られたのだろうと思います。
彼女のお父さんは海外でお仕事をなさっている。
ご両親はすぐに海外の勤務先にまた帰らなければならない。
そのとき、彼女は、ご両親(特にお父さん)が怒りを感じたまま仕事に戻ってしまうことの不安、心配を感じていたようです。
このまま、険悪なままで仕事に帰っちゃうの?
彼女が両親に向けた想い。想いを何度も伝えたのです。
お父さんが「わかったよ、またたかしくんに会おうじゃないか」と、娘の思いを汲み取ってくれたみたいです、闘いの末に。
逆に言うと、それがなければ、わたしたちの結婚はなかったことにされてしまっていたかもしれなかったようです。
プロポーズ失敗(遅刻)から1週間後、Bさん家族はわたしを自宅に呼んでくれ、彼女のご両親と一緒にご飯を楽しく食べました。
みんなで鍋。1週間前と違い、お父さんも和やかになっていました。
前回、なんとかなだめようとしてくださったお母さんは、今回は「たかしちゃん」とまで呼んでくださるくらい、フレンドリーに接してくださいました。いい幕切れになったと思いました。
それから1ヵ月程度あとだったか、ボクは彼女を実家に連れていきました。飛行機で飛ばなければならない距離。
わたしの両親や、きょうだいに紹介しました。これも無難に顔合わせを終えたと思っていました。
5.急展開
その数日後、彼女から「結婚の話はしばらく待って」という言葉がありました。理由の説明はありませんでした。
理由が想像つかなかったわけではありません。
わたしの頭を総動員して、
- 最初の顔合わせに遅刻し、ご両親に人格を疑われた
- Bさんが、そんなわたしに失望した
- わたしの実家(および田舎)が彼女を失望させた
等が浮かびました。
わたしの実家、そしてその街は田舎です、ド田舎。
コンビニがない、金融機関は郵便局しかない、バスは3本しか無い等など、列記すればキリがない。田舎競争では負けない自身があります。
6.彼女自身を嫌いになろう
彼女の結婚の拒否は、わたし自身を失望させました。
遅刻という失態はありました。でも、その後の失地回復はそれなりに有効だったと思います。彼女自身も頑張ってくれました。
でも、Bさんは離れていきます。それを止めることができなかった弱いわたしは、彼女を自分から嫌いになったのだと考えるようになったりします。そうでもしないと、わたしのメンタルが維持できません。いや、もう壊れ始めていたメンタル。
(1)ハプニング
職場での飲み会。その2次会でカラオケ。盛り上がってました。
彼女は、彼女の上司から強要されて、頬にキス。とてもとてもその場に居続けることができなかったわたしは、すぐにその場を離れました。そして、メールで怒りを伝えました。
現代ではセクハラ、パワハラになる場面ですかね。
その上司は、自分の部下であるBさんがわたしと結婚することを聞いていたはずです。喜んでもくださっていたようです。それなのに、そういう行為に出る。そのご両名に怒り。
その後、その上司とBさんは2人で映画を観に行ってたりします。その上司は妻子持ちです。妻子持ちの彼、そしてBさんの倫理的な感覚を疑いました。
(2)無理やりのデート、そして別れ
Bさんが好きだったラジオのDJ、大槻りこさん。彼女から教えてもらって、わたしは彼女の番組を聴き、夢中になります。そしてわたしもりこさんのファンになりました。
その大槻りこさんに会いに行きます。大槻りこさんとは、J-WAVEの大人気DJ。
J-WAVEが主催するフリーマーケットに出かけ、大槻りこさんと握手。写真も撮らせてもらいました。りこさんはとても素敵な方で、サービス精神旺盛。感激したBさんにハグしてくれてました。そのときのBさんの笑顔は、それまた素敵でした。
「結婚の話はしばらくストップ」モードだったのを忘れるくらい、素敵な時間でした。
ただし、それ以降のデートは芳しくありませんでしたし、そのうち彼女がデートを拒否するようになります。
嫌いになったわけじゃないが、まだ会いたくない、そんな感じでした。
そのままトーンダウンしていって自然消滅するおそれを感じたわたしは、無理やりにでもデートしようとしました。でも、応じません。
マリッジブルーか。
誘っても応じてくれない、それが繰り返されます。もうダメか・・・。
決心しました。決着をはかることにしました。もう別れよう、何も進展はなさそう。彼女から復活の可能性が感じられない。むしろ彼女を苦しめている。
食事に連れ出し、結論を出すことにしました。彼女が別れの言葉を出せるよう、場の流れを作ったつもりでした。それでも、彼女の態度は煮え切らない。こちらが予想する言葉を出そうとしない。
しびれを切らし、彼女から別れの言葉を無理やり引き出すような形にしました。そうしたかったわけではない、本意ではありません。でも、彼女が苦しんでいるのを取り去りたかった。
これが彼女にとってしてほしかったことなのか、それともまだ待ちたかったのか、わかりません。でも、とにかく、切りました。
別れたくなかった。でも別れざるをえなかった、と判断せざるをえなかった。そんな自分を正当化するため、彼女と結婚してもうまくいかなかったはず、とイメージすることに躍起になりました。
- 会社の上司との倫理観のない行動、キス事件
- かわいい彼女は性格もよく、社交的なので、結婚しても浮気するかもしれない。そんな彼女をしばりつけられるほど、俺は魅力的な男じゃない
- 彼女は酒豪。部で男女通じて一番とも。わたしも上位にはいるビール好き。そんな2人の食費はビール代がかさんで火の車
等々。むなしいんですけどね。女々しい男です。
でも、とにかく、「別れることは彼女にとって必要なこと」を自分に言い聞かせるために必死でした。
7.ここからが本論
出会いから別れを書いてきました。この記事はようやくここからが本論です。
結婚の話が一時ストップした頃と前後した時期。別の動きが同時並行していたことが後から判明します。
Bさん家の使者が、わたしの田舎にやってきて、うちを見て回ったらしいのです。見て回っただけではなく、周囲の人たちにヒアリングなどをした、とも。
使者はわたしの実家の近くの旅館に泊まったらしいのですが、その旅館に勤めていた、わたしの母と仲のいいおばちゃんが母に話してくれたのだそうです。旅館業の人が本来、そんなことはしちゃいけないのですが、おばちゃんはわたしのことを心配してくれていたのです。わたし自身もよく知る、小さい頃からお世話になったおばちゃんです。
このことをBさん本人に聞きました。こわかったけど。彼女は「知らない」を通しました。
彼女は知らないを通しました。もしかしたら本当に彼女自身もこのことを知らされていなかったと言えなくもないです。が、いずれにしても多分このことが、結婚を遅らせ、そしてダメにした。(理由の一つではないか、と予想しています)
「結婚の話はしばらくストップ」からしばらくの期間。彼女の言動が定まらないと思える状態が続きました。親から調査したことを聞かされ、考え直せと言われたとか。
最初は、Bさんはボクのことを嫌いになったのだろうと想像してましたが、この要素が影響したのではないか。なぜなら、別れるという意思を彼女が自分で表明するということがなかったからです。
デートはしない、でも別れない。そんな中途半端というか、わたしにとっては生殺しみたいな期間。
この事件について、思い当たることがわたし(そして彼女)にはありました。別のカップルの話です。
わたしとBさん、両方ともに近しい知人(女性)が結婚する際、女性の家側の人(多分、使者)が相手の男性のことをある程度の期間、調べていたのだそうです。調査の結果、不足無しということで“合格”となり、その二人は結婚します。
そのエピソードを最初に聞いたときは他人事だったということもあるのですが、めでたい結果になったのであまり気にしてませんでした。でも、まさかそれがわたしの身にもふりかかってこようとは思ってませんでした。
未だに、同●問題で結婚話がなくなる、ということは聞きます。悲しいことです。
でもわたしの実家の地域は、そうではありません(同●地区ではありません、という意味です)。そうではないのですが、調査の話が事実だとして、調査の結果が結婚に影響したというのであれば、わたしと彼女はそれぞれの家の格差が大きすぎた、ということだろうと思います。
彼女のお父さんは、就職ランキングでいつも上位に顔をだす会社で重役を務めてます。
かたやわたしの父は、ど田舎の土木工事などを行う小さな会社。ど田舎ですから仕事はありませんし、農業を片手間にやって食いつないでいくしかない。
そんなところに嫁入りさせる(この表現自体問題がありますが)ことが不憫でならなかった、とご両親が考えられたのであれば、無理からぬことです。
8.今思うこと、そして彼女に伝えたいこと
結婚しようとする本人たちの、相手に対する想いが作用したのであればしょうがないですが、それ以外の要素が結婚を邪魔したのだとすれば残念なことです。
でもそれが現実です。
もし、調査とは無関係で、別の要素、たとえばわたしの実家がド田舎だから、あるいはボクが遅刻をして人間性を疑ったから、彼女自身の心が揺らいでいたとするなら。
マリッジブルーだけだったのかもしれない。彼女が熟慮し、決心する時間をわたしは与えなければならなかったかもしれない。
もう20年以上前のことですから、振り返ってもしょうがないのですが、わたしのこれからの人生で活かせる経験に昇華させないと、悔やんでも悔やみきれません。あれだけ楽しく、幸せだと思える時間を彼女と過ごせた。それを無駄にしたくない。
わたしの子どもが結婚をする、という年代になったら、彼ら彼女らが自分で判断し、自分で行動するよう仕向けたい。社会のしがらみもあるでしょう。従わなくてはならない事情もあるでしょうが、余計な判断基準が働く仕組みを我々大人がもたらしているとすれば、それらが排除されるようわたしは努力したいと考えています。
そして、Bさん。このブログにあなたがたどり着くことはないと思いますが、もしみてたら伝えたいと思います。
わたしが未熟だったばっかりに、あなたに辛い思いをさせてしまいました。この場で謝ります。
でも、数年後、あなたがその後結婚をし、お腹が大きくなった姿でお会いしたとき、とても幸せそうな表情だったことをみて安心しました。
あなたがボクと別れたあと素敵な男性と結ばれたのと同じように、わたしも素敵な相手に出会い、結婚することができました。
ちょっと弱々しいけど、それでもたくましく育つ子どもたちに恵まれました。
あなたとすごした時間は、わたしにとって
May be the best years of my life !
でした。
もう誰もあんなに愛せはしない 君を愛したように
街は嘘みたいに何も変わらない 涙が
冒頭に紹介した小田和正の「1985」の歌詞。
こんなに人を好きに、そして好かれることになるものなのだなあ。
事実かどうかわかりませんが、小田和正は吉田拓郎のことを好き、尊敬していた。その吉田が、1985年のつま恋をラストに引退するという噂が流れ、それを悲しく思った小田が作ったのが「1985」。つまりはこの歌詞は、小田が尊敬する吉田のことを歌ったという話を記憶してます。
吉田と小田は共演してますが、最も有名なのは「All Together Now」ではないでしょうか。
この、All Together Now、Bさんは生を聴きに行ったそうです。
パート1はこちらです。