朝から、なぜか自動的に頭のなかでとある歌や旋律が流れ続ける(リフレインとか言うんですたっけね)ってこと、ないですか。ありますよね。(無い、という人もあると思って読んでください。m(_ _)m)
今日のわたしの場合、さだまさしさんの「療養所(サナトリウム)」でした。
1.小学校の作文を読むと恥ずかしい
時々思うんです。
作詞をして(さださんの場合、作詩だそうです)、それを歌う。
人気が長く続けばコンサートで長く歌い続けるだろうし、ちまたにその歌が流れる。
ずっと前に作詞した歌を歌い続けるのって、こっ恥ずかしくなることってないのかなって。
たとえば、わたしが小学校の卒業文集を読んだとすると、自分の作文が恥ずかしくて、読むに耐えられない。
それと同じように、自分がかなり前に作詞した歌を歌うのって、恥ずかしいと思うことないのかなって。
Mr.Childrenの桜井和寿さんしかり、中島みゆきさんしかり。
単純に比較できるものではありません。
一般人の小学生の作文、かたや作詞・作曲・歌の販売をし、コンサートでもお金をもらうプロのアーティスト。
でも、多かれ少なかれあるんじゃないかなあ。
2.「療養所(サナトリウム)」はいつ?
療養所(サナトリウム)は、さださんの27歳の頃のリリース(発売)です。
今日現在、さださんは65歳。38年前の歌です。
あらためて言いますと、歌を生業(なりわい)として仕事を始め、7年あたり経過した時期の作品です。小学生の作文とは違います。
どうだろう、さださんは「療養所(サナトリウム)」を、恥ずかしいと思わず歌える歌だろうか。
うん、すげぇー。わたしが想像するしかないけど、すごい歌詞です。
これなら、(少なくともわたしなら)恥ずかしいなんて微塵(みじん)も思いません。
歳とともに誰もが子どもに帰ってゆくと
人は云うけれどそれは多分嘘だ
最も印象的で、今日もわたしの頭の中で流れ続けた歌詞はこの部分なのですが、何回繰り返されてもとても素敵な詩です。
歌をご存じない方がこの詩だけを読んでもピンとこないかもしれません。ぜひとも、歌そのものを聴いていただき、詩の全体やメロディーを感じていただきたいのですが、そうすると、さだまさしさんはすんごいアーティストだと感じられると思います。
さださんだけではありません。
わたしが知るかぎり、あるいは気になって調べた、長く活躍しているアーティスト、作詞家の作品(詩)は色褪せるものではありませんね。
3.ブロガーの言葉はどうなのか
ひるがえって、ブロガー。
貧弱なPVしか出せない弱小なブロガー(わたし)の言葉はどうか。
10年後、恥ずかしくなく読んでいただける文章になっているか。
10年後しか検証できません。
そもそも10年後にこのブログが存在しているかもわかりません。
でも、10年後も読んでもらえて「なるほど」とか「そうだよね」と納得してもらえたり、「いや、そうじゃないよ」でもいいんです。
時代として通じない概念とか言葉、用語はしょうがない。その時々で用語や表現の修正、リライトも必要となるかもしれません。
最低でも、読むに耐えられる文章を書いていかなければなあ。そういう想いを少しでもいいから持って書きたい。
さださん「療養所(サナトリウム)」のリフレイン、阪神・淡路大震災の追悼。
そんな1月17日に、ブロガーなわたしに起きた出来事をわたしというミキサーでかき混ぜたら、そんなことが感じられた一日でした。
療養所(サナトリウム)に収録されている、療養所(サナトリウム)に負けず劣らず好きな曲です。