運動会はだれのもの?
運動会はだれのために開催するもの?
この春の運動会シーズン、いくつかの出来事から、そんなことを考えてみたい気分になりました。こんなこと考えるの、私だけかな。
A.雨天による延期
1.我が家の場合
とある日曜日に開催予定でした。しかしながら雨天のため、翌水曜日に延期。
子どもは大変残念がってました。なぜなら、平日だと観に来てくれる人が少なくなるためです。
予定どおりなら、父親(私)、母親、私のきょうだいとその家族が観に来てくれる予定でした。
それが、水曜日という平日の開催ということで、お母さんだけになってしまいました、観に行くことができたのは。
とはいえ、水曜日開催でも、意外と観客は多かったとのことです。
ちなみに雨が降ったもともとの開催予定日は、子どもは普通に授業に出席し、平日より少々早めに帰宅しました。
2.同僚の場合
とある土曜日に開催。雨が降りそうな雲行きで、様子を見ながらだったものの、結局全てのプログラムを開催できた、とのことでした。
よかった、よかった。
3.Facebookのお友だちの場合
日曜日の開催だったが、雨天のため翌日曜日(一週間後)に延期され、無事開催。
「一週間の延期なんですね」と問いかけると、そのお父さんいわく「小さい学校なので平日開催だと観客が少なくなるから日曜日への延期なんじゃないかと思います」とのこと。
4.Yahoo!知恵袋などの声
うちの子どもの運動会が水曜日に延期になったこと、私が子どもの頃の雨天延期は淡い記憶では翌日の月曜日だったこと、同僚のパターンなどイロイロあることから、最近の運動会の延期っていつ開催するのがふつうなんだろうか、という疑問がおきて、ネットで調べてみました。
が、一定の決まりを定めているみたいな情報にありつくことはできず、そのかわり、Yahoo!知恵袋みたいなたぐいのQ&Aサイトがたくさんヒットしたので、それらをながめてみました。
いろいろなパターンが存在するんですね。翌日の月曜日、翌週の土曜日、あるいは日曜日、平日・・・。それぞれのパターンで、多くの人が様々な想いを持っていることがわかった程度でした。
その中で気になる書き込みがありました。平日への延期は子どもにかわいそう(わが子どもと同様、多くの人に観に来てほしい、と思っているだろうに、という主旨です)、という声に対し、「何曜日に開催しようが意味なし。そもそも子どもなんて、誰かに観に来てほしい、とは思っていない」との、少々乱暴なもの。
この人物は子どもを持った経験がないのでしょうかね。それとも自身の子どもが「観に来ないで」という気持ちを持っているのでしょうか。
いずれにしても、観に来てほしいとは思っていないという子どもが大勢、ということはありえない。アフォか!とツッコミ入れて、終わり。
延期した場合、いつ開催するのか。
そもそも日曜開催さえ、すべての親御さんに都合がいいわけではないのだけど、極力延期されなかった場合と同じような舞台で子どもたちが元気に走り、演技する形にしてもらいたい、ということから、日曜日、あるいはせめて土曜日に開催してはもらえないものでしょうかね。
平日に延期するのは、どんな意味があるのでしょう。
- 授業に差支えがある?
- 振替休日の振替の振替などなどわからなくなる?
- 消防や病院など、事故が発生した場合のバックアップの取りづらさ?
- ご来場の役員さんたちの都合?
あまり思いつきませんが、いずれにしても、延期する日をあらかじめ決めておけばクリアできる話か、と考えます。
子どもを主体に考えたいですな。
B.組体操は誰のため?
雨天順延の話と変わりますが、事故が頻発することから、組体操の中止を求める声が出たり、文部科学大臣が出てくるまで盛り上がった組体操。
あれも、誰のためのものなのか、考えてしまう話題でした。
今さら蒸し返すのは時間の無駄なので、私の持論だけ書いておきます。
事故を起こすまで、つい熱くなってやってしまう根源は、教員にあると私は思います。
子どもの教育(発育)、体力づくりのためであれば、危険なことまでやらせなくてもいい。
難しいことをやり遂げた達成感を味わわせたいなら、事故を起こすほどまで危険なレベルにならないように教員がコントロールすべき。
私の身近な人物何人かが、「少々危険なことまでやらせて、その恐怖感を体験させる必要がある」とか「組体操で起きるケガくらい経験させないと、子どもは伸びない」とか言ってましたが、はたしてそうでしょうかね。
もしそうだとしても、それを組体操で経験させるものでもないと思うんですがね。
言葉は悪いですが、危険な組体操は、一部の教員のマス○ーベーションじゃないか、と私は思います。
運動会と同じですが、これも、子ども主体になって考えたいファクターのような気がします。