絶望の中、彼はどうやって生きていくのか:障害者とともにはたらく日々

わたしの社会人人生の中で、最もエネルギーを使ったのはいつか、と問われるなら、“その時期”と答えるだろう。

メモ

センシティブな情報も含まれるので、ぼやかして表現、あるいは個人が特定されない形で書くことをご承知いただきたい。

 

1.わたしと障害者の部下との日々

“その”頃、わたしには数人の部下がいた。内訳は、

  • 年上の社員 2名
  • 年下の社員 1名
  • 身体の障害を持つ社員 1名

特例子会社(※)ではない。普通の民間企業のとある部署。

いろんな勉強をさせていただいた。

いや、正直に申し上げて「勉強」などという美辞麗句は、当時は言えなかった。その日その日をしのぐのに精一杯。

そんな、懸命に生きる、低能なわたしについてしまった彼ら彼女ら(以下、性別を特定しないために、「彼ら」で統一します)には、本当にしょうもない上司だったろう。申し訳ない気持ち。

上司と社宅は選べない

とは、わたしの人生最初の上司の口癖。それを彼らに、心の中で、申し訳ないと想いながら謝罪の言葉として伝え続ける毎日だった。

わたしは当時、彼に、無理難題を押し付けた。「無理難題」といっても、障害があってできないことを要求したのではなく、障害があってもできること。

彼は、杖をつきながら、なんとか歩ける程度。それでもパソコンの起動、入力、印刷、捺印などの事務処理は一通りできる。

脳に障害が残り、判断力、瞬時に考え決断すること、聴力などが苦手だった。それでも丁寧に根気をもって説明すれば理解でき、実務はこなせるレベル。

そんな彼は、定型的な業務は無難にこなしてくれていた。むしろ、ミスは少なく、他の部下たちの手本といえなくもなかった。

問題は、自分のやり方や自分の考え方を貫きとおす、修正が必要な場合が発生しても修正しない、他のメンバーに協力的でない・・・といった点。
以前からそのような性格だったのか、障害を持ってからそう変わったのかはわからない。いずれにしても、障害を持ってからの彼を知っている社員たちは、彼はずっとそうだとのこと。

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(1)長期休暇の取得

彼の問題行動が端的に表れるのは、休暇の取得。

特定の期間に、集中的に長期で取得する。年中行事ともいえる。休暇日数は足りているので問題はなく、仕事も、ゼロとはいえないまでも自分の仕事がほぼ発生しない時期に取得するので、さほど支障はない。率直に言えば、彼の仕事は1人分はない。

とはいえ、2週間も空けることになれば他のメンバーにサポートしてもらう必要がある。

上司であるわたしには「すいません、すいません」と頭を下げる。わたしがフォローするのはもちろんだが、わたし以外にも彼をサポートする(過去もしてきた)メンバーがいる。そんなメンバーたちに彼がそういうメッセージを伝えることはしない。

「2週間、休みますけど、その間よろしくお願いします」

のひとことを言わない。

もともと彼には、2週間もの長い休みをとることを申し訳なく思う気持ちは存在する。そしてそのことを周囲が快く思っていないこともわかっている。なのに、というか、だからこそ、わたし(休暇の取得を承認する立場)には言うものの、他のメンバーには何も言わない。

わたしから促すのだが、それでも動かない。

すると、当然だが、他のメンバーたちからは反発がくる。

「電磁波さん、彼の休暇取得はどうなんですか?」と。

わたしもよしとはしない。最初の休暇取得の話があった際、わたしは断った。分散してとるべきだ、と。長期間だと、道義的にも問題があるし、実際のところ、仕事もある。それを放棄(無言のうちに他のメンバーにサポートしてもらう)しているのはいかがなものか、と。

休暇の取得の理由も確認した。

本来休暇の目的は確認しなくてもよい。どんな理由でさえ、労働基準法で認められた年次有給休暇は取得できる。事業の継続が不可避といった程度の理由でもないかぎり、拒否、あるいは時季変更権(年休の取得日を変更させる会社側の権利)は執行できない。

それでも、他のメンバーからの不満を解消し、彼自身が心置きなく休めるために必要と考え、理由を確認した。3個ほどの理由を彼は述べたと記憶している。そのうちの1つが「家族と海外旅行にいくため」だった。

わたしは憤慨した。そんな理由ではわたしを含む彼以外の周囲を納得させられない。

毎年らしかった。彼の年休取得、そして旅行の話は。古株の社員らにとっては「今年もか、やれやれ」的な存在だったようだ。そんな彼らも本音では納得していないし、あとからこの職場にやってきた部下たちは言わずもがな。

わたしが上司でいる間、毎年、何度も彼と面談し、休暇期間の短縮、分散取得まではこぎつけた。自分をサポートしてくれるメンバーたちへ、休む間のフォローのお願いを伝えることもやらせた。

(2)通勤時の母親の付き添い

杖で歩けはする。会社内では自力で歩ける。

が、体調が悪い時や、雨が降っているときは、自宅(職場から至近)からの歩行での通勤が困難だった。そんなとき、母親が付き添って出社し、退勤していた。
母親がいなければ、彼は会社に来れないのだ。

母親の都合で、出社、退社の時刻が乱れることもあった。

あまりに早く出社すると、わたしや他のメンバーが彼の安全を確認できない。遅い時刻に退社された場合も安全を見届けられない。

母親の付き添いの有無にかかわらず出社時刻は課題だった。

真っ暗な中、敷地内で倒れていた(正確には、横になっていた)のを発見され、抱き起してもらった後、よろよろと帰っていった、と後から報告を受けたこともあった。

(3)生活のお世話

彼は、朝夕の食事や洗濯、掃除など、母親にやってもらっていた。

彼が私生活においてできることは、家のドアを開けること、靴や服を脱ぐこと、食べること、横になること、トイレに行くことくらいで、そのほかはすべて母親がやらないとできなかった。

そんな母親だったが、体調を悪くし、病院に長期に入院することもあった。そんなときの朝、夕の食事につき、会社もサポートした。といっても、自分で手配できる弁当屋、食事の配達ができる宛先の情報を伝えるくらい。基本は自分で生活できなければならないし、会社もそれ以上私生活に関われない。

会社がサポートしなければ生きていけない事態に陥ることは、できない。

2.昔の彼

彼は、会社に入社した頃は健常者だった。入社からを知る社員からは、彼が有能だったこと、ルックス的にもレベルが高く、異性からもてたらしいことを聞いていた。

しかし、身体を悪くし、病気になった。脳の病気が発症、半身不随になった。

当時の彼の上司は、人事部に在籍していたわたしに問い合わせ、「彼を雇用すべきか」と問うてきた。現場をわからない気楽なわたしは直感で雇用すべきと考えたが、ヒラ社員だったわたしは正直うろたえ、わたしの上司に相談するしかできなかった。でも結論は同じで、「物理的なハードルがなければ、雇用すべき」。

そこから、彼の上司、そして数年後のわたしの闘いが始まる。



復帰直後の頃を運営した彼の上司、そして職場のメンバーたちの苦労は大変なものだったろうと思う。

それでも、当時はまだ、外からの電話(外線)をとり、やりとりすることはできていたらしい。

が、わたしがその職場に異動になったころ、それはできないレベルに落ちていた。

また、身体障害以外に、脳の能力も落ちていたようだ。判断力、思考能力、善悪を判断する力も落ちていた。それらが身体以外の障害も含む障害者(精神障害、知的障害)なのか、わたしにはわからない(いまでもわからない)。

であるから、身体障害以上に、そちらの能力低下の方が、彼およびチームのマネジメントには影響が大きかった。

3.彼に自立してもらいたい

彼に要求したわたし、そしてわたしの上司からの指示など。彼の自立をおもえばこそのつもりだった。
会社にできることには限界がある。だから、家族にもお願いごとをした。母親、父親・・・。

そんな彼のお母様の訃報に今日接した。

絶望というほどのものを彼は感じているに違いない。

身体を悪くされて長かった母親であるから、彼も彼なりの覚悟はしていたであろうとは思う。しかし、文字どおり自分の手足となって支えてくれた母親という存在が、もうないのだ。絶望以外になにがあろう。

母親以外の家族もいないわけではなく、以前もそんな家族が彼を支えることはあった。がほんの少しだった。(できる状況にはなかった事情もあった。)

これからは、そんな、母親以外の家族が彼を支えていかなければならない。

会社にもサポートできる範囲がある。 会社は彼の会社生活はサポートできるが、それ以外はできない。

こんなストーリーをお読みになられて、皆さんはどのように思われたでしょうか。
ここに書いたエピソードはほんの一例で、細かいことならもっとたくさんあります。あまり細かく書けない(書くと特定できてしまう可能性もある)事情もお察しください。
そんな限られた情報しかありませんが。

「もっと会社はサポートすべきだ」
「障害者と一緒に生きていくために、上司、あるいはその周囲はもっとサポートすべき」

「彼は会社に甘えすぎ」
「家族がもっとサポートすべき」

いろいろありましょう。

わたしや他のメンバー、会社がとってきたスタンスが正しいかどうかはわかりません。

特例子会社であればもっと過酷な実態があり、障害者本人、あるいは会社側が奮闘されているかもしれません。

こんな現実が、日本の片隅に日常起きています。

このエントリーを書き始めたとき、そして書き終わろうとしている今。わたしは何を言いたかったのか、わからなくなりました。

とにかく、彼の絶望を文字にしたかったのは間違いありませんが、書き進めるにつれわたし自身のふがいなさもあらわになったように思います。

今から思えば、長期休暇で家族と旅行に行くのは、母親との思い出づくりのために大事なことだったかもしれない、とも思います。それを邪魔したわたし、という形も見えてきます。

わたしがその職場を離れたあと、さらに多くのハードルが生まれています。現在の彼の上司に話を聞いたところ、その新たなハードルも含め、母親以外の家族となんとかしてその局面を乗り切ろうとしているようです。

その上司はまじめで正義感あふれる人物。わたしが陥ろうとした、「わたしが彼を助けないと」と一心不乱になろうとして自分が疲れてしまうことがないよう、周囲の協力を得ながら乗り越えてほしいと思います。

※特例子会社とは

特例子会社 - Wikipedia

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