電磁波で死んでしまう前に

MacとかiPhoneとか、デジタルガジェットなどが好きです。雑談もしてます。

アラフィフのおっさんでも運動会から多くを学んだという話

こんにちは、電磁波です。


梅雨入り前、春の運動会シーズンですね。

わたしは2週連続で、運動会を楽しみました。

楽しんだだけでなく、多くを学んだ日でもありました。

おっさんでも学ぶことがあるんですね、運動会に。

 

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0.プロローグ

 

(1)個人情報を特定されないように

 

わたし自身、そして子どもたちの個人情報が特定されないように、表現などを若干ボヤかしてます。ご了承ください。

 

(2)言葉の使い分け

 

うちの子どもは小学生と中学生です。
区別するために、小学校のを運動会、中学校のを体育祭と表記します。

 

この言葉の厳密な定義は知りませんけど、ここではそういう使い分けをします。いちおう調べたんですけど、はっきりとわかる根拠が見つけられませんでした。ネットで検索(「ググる」という表現が一般的かもしれないけど、わたしはその表現が嫌いです)もしましたけど、確信にいたらないんですよね。

 

 

(3)席取り

 

今回の記事とは直接関係ありませんが、うちの地域の運動会、体育祭の席取りが合理的なので、ご紹介しておきます。参考にしていただければ、と思います。

 

観戦のための席取りは、当日未明とか前夜から並ぶというようなことは不要です。

必要なのは、当日朝早くにテントを張る手伝いをすることです。

 

観客席は自治会(行政区と言うんでしたっけ?)ごとでエリアが分かれています。

当日朝、自治会の体育関連行事の担当の方々がテントを公民館等から運んできます。

それを、われわれ保護者などがセッティングします。

セッティングが終了したら、その作業をやったみんなで(じゃんけんなどで)順番を決め、1位の人から自分の席を取れる、という仕組みです。もちろん、1位になったからといって広々と占拠できるわけじゃなく、1世帯あたりのスペースは常識の範囲です。

 

都会じゃないから、あるいは、人口がさほど多くないからできることかもしれません。でも、手伝って初めてその権利が得られるという仕組みは、合理的だと思います。

 

 

 

1.運動会と体育祭で違った感想

 

運動会と体育祭、それぞれで違った感想を感じました。

その違いも、今回学んだことと言っていいかもしれません。

 

一見同じものに見えるイベントですが、どう感じるかは違ったんですよね。

その根本にあるのは、まだまだ子どもな小学生と、おとなになりかけている中学生という差が、運動会といったイベントでどのように見えるか、ということのようです。

 

 

 

2.体育祭

 

順番としては、まず体育祭でした。中学校です。

まず、わたしが中学生だったときの体育祭とは、こんな点が異なってました。

 

 

(1)当日の開会前から得点がはいっている

 

わたしの時代は紅組、白組の2つのチームでしたが、子どもの体育祭は3つのチームがの対抗でした。仮にAチーム、Bチーム、Cチームとしておきます。

朝の開会前にA:32点、B:27点、C:29点というようにすでに点数がはいってます。

何を根拠に点数化しているか、というと。前日までの練習への取り組みの熱心さとか忘れ物した人の数とか、そんなものを点数化しているのだそうです。

 

このような点数化を盛り込むことで、練習をより引き締まったものにする効果があるといえます。

 

 

 (2)応援合戦

 

応援合戦はありません。応援団もいません。

そのかわりにチームコンテストというのがあります。演武という感じ。チーム対抗です。

わかりやすく表現するなら、男子の組体操、女子のダンスが一緒になったようなものです。

それを評価し、点数化します。競技種目の一つです。

 

この発表は、基本的にはすべて生徒自身が立案し、練習するんだそうです。

先生のサポートは基本的なこと、事故防止などの程度なのだそう。

選曲、ダンスの振り、チームごとに集まる練習などなど。

 

 

(3)体育祭に感じたもの

 

わたしの経験とは違う、子どもの体育祭の要素。

この「自分たちで考え、行動する」としているのは、中学生という年代に学校が求めることとしてはそのとおりかもしれません。

 

よくぞ自分たちだけで、これだけの演舞を作り上げたものだ、と感心しました。

わたしが中学校のときは、んー、田舎で小さな学校でしたから(学年で1〜2クラス)、チーム全体(すべての学年)が集まって行動することはさほど難しいことではなかったでしょう。街全体の生徒の顔が見えるほどの田舎でしたし。

でも、子どもの学校の規模(学年で4クラス程度)で、しかも地域の結びつきがさほど強くない、そこそこ人口の多い街(学区)だと、集まり練習するだけでそこそこエネルギーが必要。

そんな中、よく作り上げました、ということでした。

 

 

一方で、純粋に出し物、アトラクションのレベルというと、それほど満足できるものではありませんでした。

女子のダンスは、厳しいことをいえばお遊戯程度。男子の組体操的なものももう一つ頑張ってほしいと感じました。

 

わたしは、危険な組体操は止めるべきと考える派ですが、安全な範囲でもうちょっと魅せる演技ができてもよかった。

お遊戯とまでは言いませんが、やれることがもっとあったはず。

 

かといって、先生たちがもっと指導をすればいいか、というとそうでもないとも思う。中学生はもうそこそこ大人ですから、先生・教師たちがすべて指導、アドバイスすべきかというとそうでもない。

自我が芽生える時期。こういうときこそ、自ら動くということを学ばせなければならない。そういうことからすると、生徒たちが自ら、というのはそのままであってほしい。

 

 

中途半端な大人、ということでいうと、もう一つ。

準備体操などさめてる生徒がいます。気合がはいらず、手脚の動きもだらけてる。

あれも、中学校の体育祭の見た目を損なう一因でもありますね。

 

 

かくして、中学生の体育祭というのは、生徒に対しても教師に対してもどうも中途半端な思いが残ってしまうイベントなのでした。

 

 

 

 

 

3.運動会

 

繰り返しますが、小学校の運動会です。

 

中学校で少々残念な思いをしました。

それを運動会に期待する、ということはありません。

さすがに小学生ですから、子どもです。先生がどんなにサポートしようが、子どもです。

ところが、でした。

 

 

(1)小学生の組体操

 

うちの子どもは最終学年、しかも男子です。

組体操です。

 

先に書いたとおり、危険な組体操は止めるべき派ですので、さほど期待していませんでした。

しかし、やっていることは比較的普通、危なっかしいことはしていない。

でも、動作が揃っていたり、一生懸命にやっている姿に勢いを感じます。

 

そりゃあ、我が息子が出てるから、贔屓目(ひいきめ)に見てしまうのは否めません。

それを抜きにしても、なかなかやるじゃん、6年生たち! です。

 

 

(2)徒競走、低学年たち

 

運動会、体育祭の華といえば、やはり徒競走でしょう。

小学生の徒競走、特に低学年のそれは、一生懸命さが体全体から伝わってきます。

これこそ、醍醐味です。

 

 

(3)先生たちの努力、工夫

 

ムカデ競争、キャタピラーなど、ありがちな種目ですが、今回の運動会の徒競走じゃない競争種目は工夫されてました。

 

腰に巻いた帯をつかんでつながった列が一斉に走る→途中で寝っ転がりまた起きる→走る を繰り返すレースが、おもろい。

 

3〜4人で運ぶのが、大きな玉だけじゃない、立方体もあれば、フラフープに一緒になって走るものもある。

 

うん、なかなか。

 

 

 

4.体育祭と運動会を比べて結局思ったこと

 

中途半端と表現してしまった体育祭。

もちろん、それなりの感動はあって、否定するものではありません。

観終わって爽快感はありました。

 

が、結局、わたしが結論づけたいのは、わたしは一生懸命に、目の前のやるべきことに無我夢中になり挑む、小学生の姿に感動し、わたし自身がそうでありたい、ということでした。

 

アラフィフでありながら、いやむしろ、アラフィフまで年をとったからこそ感じるのか。

中途半端な大人ではありたくない。

 

滑稽(こっけい)でもいい。

がむしゃらでありたい。

 

仕事にも、ブログにも、ビールを飲むにも。