電磁波で死んでしまう前に

MacとかiPhoneとか、デジタルガジェットの電磁波に囲まれて人生は幸せだと叫びたいブログ。

「恵まれない」子どもたちが共同生活する学園は、とても恵まれたコミュニティだった

森友学園や、関西の認定こども園など、子どもたちが育ち学ぶ場について、いやなニュースが連日続く毎日です。

残念なことです。

 

 

 

 



うちの近くに、とある施設があります。様々な事情があり、自宅で生活できない子どもたちが集まって共同生活しています。下は3歳あたりから上は高校生までの子どもたち。そして施設を運営する大人のスタッフがいる、そんな施設です。

詳しくは書けない事情があるので、仮にA学園としておきます。(問題になってるM学園ではありません。)

そのA学園にお邪魔する機会がありました。定期的に開催しているお祭り、そのお手伝いをさせていただくというものでした。

 

祭りでのラムネ

 

そのお祭りは「地域の方々に日頃からお世話になっている、その恩返しをする」そんな目的で、もう何年も続いているようです。

看板が2ヵ月ほど前から建てられ、近隣の住民にお知らせされます。また、A学園にいる子どもたちが通っている学校の先生、行政の方々の招待というのもあります。

露店での飲み物や食べ物の販売があり、子どもたちの遊戯があり、クイズ大会があり、太鼓の演武があり、と楽しいものです。わたしは飲み物販売のブースをお手伝いしました。




A学園にはいるまえ、わたしには思い込みがありました。様々な事情がある家庭を経験しているであろうことから、子どもたちはふさぎ込んでいる様子だろうとか、暗〜い表情だろうとか、園内も暗い雰囲気だろうとか。

 

 

注記
どんな事情で子どもたちがここにいるのかは書けません。イベントで知った子どもたちの名前も、イベントが終わり学園を出たら一切口外はしないというルールです。プライバシーのことであり、子どもたち自身もそれを気にしていることなどが理由です。ですので、この記事はあまり詳しくはかけないことをご承知おきください。

 


しかしそれは、実際には違ってました。

子どもたちはみんな明るく過ごしていました。明るいだけではなく、わたしが担当した飲み物販売も含め、露店の運営は基本は子どもたちなのですが、しっかり取り仕切ってました。

学園の大人のスタッフのサポートはあるものの、上級生が下級生や年下の子どもたちをサポートしたり、わたしたち大人ともコミュニケーションをとったり、生き生きしています。

偏見を持っていたわたしが恥ずかしくなりました。

 

 

イベントが終わって後片付けが終了。その後、ボランティアでお手伝いをした、わたしたち外部の人間たち(10人くらいいたっけかなあ)に、露店販売の食べ物をふるまってくださいました。 その際、スタッフの方と話をしました。

これまたこの期に及んで、わたしには思い込みがありました。イベントだからいつもより元気で明るかったのではないか、普段はさほど明るく元気ではないのではないか。あるいは、外部の人がお手伝いで来るから明るく元気に振る舞うように、という指導が子どもたちになされていたのではないか、と。

 

でも、スタッフの方に聞いた話は違ってました。むしろ普段のほうがもっと明るく、無邪気に動いている。外部の大人たちがきたので、むしろいつもよりおとなしかったのではないか、と。

また、上級生が下級生たちをサポートするのも、日常から行われているとのこと。スタッフの教育もあるし、自発的なものもあるようです。

学園の中の子どもたちの生き様がとても好ましく感じました。

 

一方、普通の学校とか地域社会ってどうなんでしょう。

わたしの子どもたちが通う学校は、いじめがゼロではないのですが、ニュースや新聞に出るというレベルまではいかない、比較的穏やかと言える学校です。

また、居住する地域も、さほど都会ではなく、まだ地域の連携というかコミュニティがあります。

しかし、上級生と下級生の関係とかはどうなんだろう。深刻なレベルでのいじめはないとはいえ、健全な社会だろうか。(かくいうわたしの子どもはいじめらしきものを受けていることは過去にご紹介しました。)

大人たちが自分の子どもだけではなく、他人の子どもに目を配っているだろうか。

 

さらに広げて、他の地域は、あるいは一般的な話として、日本は、子どもたちが育ち学ぶ社会として良い場所なのだろうか。今、進もうとしている日本の未来は・・・。

決して、日本全国すべてが良い場所とは言えない、ということが現実ではないだろうか。

 

A学園の子どもたちは、さまざまな事情があるということですから、きっとつらい過去を経験しているはずです。「恵まれてはいない」と言えると思います。

でも、そんな子どもたちは、みんなで支え、そして支えてもらうという関係が成り立っている。それをスタッフという大人たちが目を配り、時には指導したりしている。それはとても「恵まれた」環境に思えました。

 

 

わたしの勝手な想像ですが、彼ら彼女らは“様々な事情”がある、そのことから自分がしんどい状況にいる、誰かに助けてほしいことを自覚している。だからこそ、誰かを助けてあげたい、助けてあげなければ、という意識を持っているのではないでしょうか。

 

痛みがわかる人間だけが、やさしくなれる

 

高校を卒業すれば学園を出ていかなくてはなりません。その先もつらいことが待っているかもしれません。

でも、このコミュニティで育ち学んだ経験は、非常に良質なものとして今後の人生に活かせるのではないか、と思いました。


スタッフの人数や資金としては、A学園は決して楽ではなく、苦しいそうです。また、学園への入園を希望する子どもも多いそうです。決して甘くない現実はあります。

でも、言葉として適切ではないかもしれませんが、ピュアなコミュニティの存在をうらやましくさえ思えるほどです。

 

彼ら彼女らの姿をみて、わたしは自分が普通に生活している家庭、そして地域社会を、違う視点で見られる視点に立てる、そんなきっかけをボランティアを通じて得ました。

そこから見ると、森友学園認定こども園のニュースは、悲しくうつります。

 

「理事長が悪い」
「いや、政府が悪い。官僚が悪い」

 

などなど議論がされてますが、アホらしい。主役であるべき子どもたちがかわいそうな目にあっていることに目を向けたい。

周囲の大人たち(わたしを含む)が「子どもたちの育ち学ぶ場はどうあるべきか」を考え、行動に移らなければならない。それを突き付けられているようです。