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電磁波で死んでしまう前に

MacとかiPhoneとか、デジタルガジェットの電磁波に囲まれて人生は幸せだと叫びたいブログ。

人の死は後ろ向きでなく前を向いて進んでいく出来事と考えて生きていきたい

昨晩、「SMAP×SMAP」が終わりました。

これからはそれぞれが違う道を歩いていくんでしょう。

だから、というわけではないですが、人の死について考えることがあり、書いてみたいと思います。

人によっては「不謹慎!」とか不快に感じられると思いますが、あらかじめご容赦ください。

 

 

義母の死

 

先日、義母(妻の母)が亡くなりました。

妻はもちろんですが、わたしも本当の息子のようにかわいがってもらい、お酒も飲んで楽しく過ごしました。なので、とても悲しく、寂しくなりました。

 

妻の姉夫婦と同居していた義母。今年の夏、一度脳梗塞で倒れました。

「あと2〜3日もつかどうか」

との医者の診断。

妻は急きょ、その病院に駆けつけることとなりました。その間、わたしは仕事に行きながら二人の子どもの面倒を見ることになりました。

いったん容態は落ち着き、妻は帰ってきました。

その後、妻と姉は、両親(倒れた義母と、以前から脚が不自由な義父)の面倒をみることについて、やりとりしたようです。というか、喧嘩腰だったようです。

 

「私、看病に行ってもいいかな?」

 

妻からの相談。ほとんどを実家(わたしの家から飛行機でしか行けない場所です。電車を使うと2日はかかる距離です)で過ごし、月に数日はわたしの家に帰ってくる、というものです。妻が不在の間、わたしは仕事をしながら二人の子どもの面倒をみるということです。

わたしにはとても無理でした。妻が数日家を空けただけでてんてこ舞い。一応管理職なので、小中の子どもの面倒を仕事をしながらみるというのはきついことでした。会社の協力もいります。

読売テレビ清水健アナのようにはとてもできません。

 

がんで妻死亡、清水アナ退社へ…がん基金に専念 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

 

看病に行くのは受け入れられませんでしたが、義母を我が家に来てもらうのならまだ可能、ということで落ち着きました。

 

幸い義母はその後回復し、退院できるまでになりました。とはいえ、姉家族だけでは二人(義母、義父)を面倒見きれない、パーキンソンも進んでいた義父には特別養護老人ホームにはいってもらいました。

この状況で落ち着きました。その矢先に義母の逝去です。

 

 

 

妻と義姉

 

義母のことで、妻と義姉の間は以前にも増して険悪になりました。

 

結婚する前から、妻と義姉は仲が悪かったようです。

性格が違うし、相性も合わなかったのでしょう。

結婚のプロポーズをしたとき、泣き出して「姉との関係が・・・」と、即答できなかったほどです。姉との関係をちゃんとしないと、結婚なんて無理、ということのようでした。

 

しかしながら、義母が亡くなりました。脳梗塞で倒れてから退院し亡くなるまで元気でしたが、残念な結果でした。

 

それでも、妻と姉の悩みは、ある程度すっきりしたというのが本音だったんじゃないか、と思います。

もちろん、葬儀や最後のお別れ、火葬などの場で、二人とも泣き叫んでました。悲しいのは当たり前です。

それでも、第三者から見たからこそかもしれませんが、二人とも落ち着き、さらに不謹慎に言えば、スッキリしていたように思えました。

 

義父の悲しみは想像に難くありませんが、一度脳梗塞で倒れたときに覚悟されていたようです。

 

 

 

息子の言葉

 

葬儀を終え、自宅に帰ってきたあと、息子がぼそっと。

 

息子「誰かが死んじゃったとき、誰かが生まれてるよね」

わたし「たとえば?」

息子「●●ちゃん、生まれて数ヵ月だよね」

 

●●ちゃんとは、義姉の娘の第2子です。確かに、義母の逝去と遠くは離れてません。

 

息子「おじいちゃん(わたしの父)が死んだのいつだっけ?」

わたし「十数年前かな」

息子「△△が十何歳じゃなかったっけ?」

わたし「そうだね」

 

△△は、わたしの姉の子どもです。

いろいろ考えてみると、親族の間の狭い世界の中でも、誰かが亡くなったら、誰かが生まれているのは確かです。

 

狭くない世界で考えれば、老いれば死ぬのは当たり前で、新しい生が誕生する。それが世の常。

 

 

 

高齢社会

 

長生きはとてもいいことです。でも、長生き過ぎるのはどうか。

 

不謹慎ですが、以前からそう思っています。

いわゆる、健康寿命が長くなるのはいいのですが、生命維持装置で生きながらえるのはどうか。

 

そう感じるようになった一番のきっかけは、立花隆の「脳死」三部作を読んでからです。

脳死」は、不可逆的(脳が完全に元に戻れなくなる状態)な状態に陥るのを死とすべきであり、可逆的であれば死ではない、ということを主張します(すごーく簡単にまとめてしまいました)。

本の内容と直接関係はないのですが、健康じゃない状態で生命が続くのは、バランスが崩れてしまう感じがします。

年金、医療、介護・・・。

 

少なくとも現代の日本では、良好に維持できるのは3世代か4世代程度ではないか、と。すごーく極論ですが、思います。

 

 

人の死は、悲しいことです。

でも残されたわたしたちの人生が新たに始まる出発点でもあります。

 

SMAPは好きでも嫌いでもないですが、多くの人たちにとって彼らの解散は残念なことです。ですが、5人で何年持つの?とも思います。ずーっと同じというのは不健康な感じがします。

「転石苔むさず」ですよ。

 

 

★蛇足ですが

脳死」は、何世代か前の本で、医療も変化してますので、今読んでも「は?」としか思えないレベルかもしれませんが、一読の価値あり、と思います。

脳死のことだけじゃなくて、医療政策などにも突っ込んでます。

よくぞ、医療関係者じゃない作者がここまで書き上げたなあ、と感動さえ覚えるほどです。

 

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