電磁波で死んでしまう前に

MacとかiPhoneとか、デジタルガジェットの電磁波に囲まれて人生は幸せだと叫びたいブログ。

めっさ怒りの感情が湧いたんだけど、オレ間違ってないよね?

仏の電磁波ですが、今日、怒りが沸騰したことがあって。

 

怒り

 

そんなことをネットに書くのはマナーとしてはよくないんでしょうが、身内の話なのでご勘弁いただくとともに、わたしに怒りがわいた倫理観がみなさんとズレてないのか心配になって書く次第です。

登場人物は、わたしの実母(わたしおよびわたしの家族と別居)、妻、そしてわたしです。

 

 

1.出来事を書きます

 

実際に起きた出来事を書きます。

 

  • 5月頃だったかなあ:母から送金のお願い。車検代に必要、と。約10万円を送金。
  • 11月上旬だったかなあ:母から送金のお願い。想定していた農作物の収入が、不作。ご近所さんのご不幸で香典などの出費もあり、お金がなくなったとのこと。20万円をお願いしたい、とのこと。
  • 今月始め:妻の実家に不幸あり。母から香典を立て替えておいてくれ、とのお願い。5万円を母の名前で。
  • 昨日(12月14日):20万(お願いされた金額)ー5万(香典立て替え)=15万円を送金。
  • 今日(12月15日):母から送金の礼の電話。加えて、わたしの妻の実家に贈答品(去年も贈って好評だったらしい、とある海産物)を送りたいが、贈ってもいいか?(不幸があって喪に服しているとすると精進物を贈ることが失礼にならないか、の確認)の相談

 

 

 

2.わたしに湧いた怒りの内容

 

「借金で居酒屋に飲みに行くようなものじゃないか」

 

上記の出来事だけだとわかりづらい部分を補足します。

わたしの世帯はわたしの収入のみで生活してます。お金は基本的に妻が管理しており、わたしは小遣い制。

 

母は一人暮らし。年金生活+細々とやっている農業の収入で生活してます。そんな状況ですから、わたしを含む母の子どもたち(わたしのきょうだい)がある程度は送金しなければならない事情はあります。

 

車検の送金はしょうがないな、20万円の送金も「そこまで不足するまでに生活を節約させることができただろ」という思いはあり高額だなあ、とは思いながらも送金はしょうがないか、と送金しました。

 

これらの臨時の送金は、妻にわたしがお願いして送ってもらってます。住宅ローンや子どもの教育、習い事の出費なども含めて管理すると、そうそう臨時の出費の余裕はない、というのが妻の言い分で、わたしの小遣いも情けないほどです。それでも、こういった臨時の出費に応じてもらっています。

 

 

そんな中、妻の実家に不幸がありました。母は、昨年も贈ったらしい海産物が好評だったらしく、しかも不幸があったこともあり、今年も贈ろうと考えたのでしょう。

ですが、事情があったとはいえ、借金に対して送金してほしいと要請し、そうしてそのあとに、おつきあいという意味合い、よかれという思いがあったんだろうとはいえ、工面したお金を送った妻の実家への贈り物、というのは、どうにも解せません。

 

<わたし+妻>→借金の補填に15万円→<母>→贈り物→<妻の実家>

 

海産物を贈る先が妻の実家ではなく、妻が全く知らないお宅に贈るものだったのなら、まだわたしも理解したかもしれません。

借金がぴったり15万だったわけじゃないだろうし、15万の送金である程度の余裕ができたのは事実でしょう。

しかし、贈る先が妻の実家。妻の立場からみたら、

 

借金してるからってお金を送ったのに、私の家に必要でもない贈り物なんて・・・

 

と思うだろう。

なんか、ねえ。悲しくなりました。

 

なにがって? んー、母の老いでしょうか。

 

結局、母には「贈り物は贈る必要はない」と言いました。

 

 

 

3.わたしが間違ってる?

 

勢いに任せてここまで書いてきました。

わたしが大人じゃない点があるかもしれません、わたしの考え過ぎかもしれません。言い足りないこともあるかも。

 

それはそうとして、ぜひ、この記事を読んでくださった皆様に、わたしの倫理観、怒りがどのようにうつったのか、反応を知りたいです。

 

 

身内の恥を晒しただけかな。

はてなブログの末席を汚すような真似をしてしまって、申し訳ございません。

 

でも、ここで書かせていただいたおかげで、少しはまともな睡眠がとれそうです。ありがとうございました。おやすみなさい。

 

【追記2016/12/17】はてブコメ、ありがとうございます。

介護の仕事をし、また自身の家族の介護の経験もある人から聞いた話です。

認知症が進んだら、患者がその後言うことを聞くのは、認知症前の頃に時分に優しくしてくれていたという記憶がある人だけ。自分の子どもだろうが配偶者だろうが関係ない。だから、たとえ怒りたくなることがあっても優しく接していないといけない。

 

この言葉を忘れずに親と接しているつもりですが、実践は難しいですね。反省です。