電磁波で死んでしまう前に

MacとかiPhoneとか、デジタルガジェットの電磁波に囲まれて人生は幸せだと叫びたいブログ。

ばあちゃんとの思い出は細川たかしと玉子焼き

お題「おばあちゃんの思い出」

 

敬老の日は過ぎましたが、お題スロットで、「おばあちゃんの思い出」を選びました。

 

 

1.演歌が好きでした

 

小学生低学年のころ、晩ごはんを食べたあと、祖母(わたしは「ばあちゃん」と呼んでいたので、以降はばあちゃんと書かせてください)の部屋で一緒にテレビを観るのが好きでした。

特に、演歌の番組を観るのが好きだったのです。ばあちゃんもわたしも。

 

わたしが一番好きだった歌手は、森進一。森進一がいちばん歌が上手い、と思ってました。とにかく森進一が好き。

後からデビューしてくる歌手も、全然下手。受け付けない。森進一一択!

 

そこに、細川たかしがデビュー、Wikipediaによると1975年デビューとあります。わたしが8歳。

衝撃でした。なかなか上手いのがデビューしてきたぞって。そして、森進一に歌が似てる、とも。

ばあちゃんも「細川たかし、すごいね」とわたしの驚きに賛同してくれていました。

今では、森進一に細川たかしが似ているとは思わないのですが、当時はそう思ったんですよねえ。

 

このエピソードは、そこそこ年をとってから思い出しました。

おれって演歌が好きだったんだよなあ、って。

 

そんな、ピチピチ若かった細川たかしも、今ではカツラ疑惑で賑わってます。

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

2.玉子焼き

 

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わたしの保育園通園の弁当は、ばあちゃんが作ってくれてました。

ある日、祖父(じいちゃん)が体調を悪くし、ちょっと離れたところにある病院に入院することとなり、ばあちゃんが付き添うことになりました。つまり、家を離れるということです。

そこで、わたしの弁当は、母が作ってくれることとなりました。これが普通なんですよね。

 

ところが、玉子焼きの味がぜんぜん違う。ばあちゃんの甘いのに比べて、母のは甘くない。

それで、わたしは残念で、ワンワン泣きました。「ばあちゃんのじゃなきゃ、いやだー」と。

それでも、どうにもならないんですけどね。

 

このエピソードも、大人になってから、すっと思い出しました。

母に「あのときはゴメン」と謝ったけど、覚えてませんでした。その当時で30年以上前の話だったし、覚えていたとしても忘れたふりをしてくれたのかな、とも。

 

 

 

3.亡くなるとき

 

長く体を悪くしてましたが、かなり重篤な状態に。

わたしが東京で仕事していたとき、正月の帰省の飛行機、12月の便がとれず、やむなく元日に帰ることに。

登場する直前、7時頃に電話したら「まだ大丈夫、元気だよ」と、駆けつけてくれていた伯母の返事でした。

今はなき、日本エアシステムJAS)7:35発の長崎行きの便に登場。元日ということでサーブされたお弁当を、とても悲しく味わいました。

 

長崎空港に着陸して電話。「ダメだった」

7:38,わたしが飛行機に搭乗した直後だったらしいです。

最後は、「●●ー、●●ー」とわたしの名前を呼びながら亡くなったそうです。

 

 

ばあちゃん孝行はできませんでした。

その思いは、母や家族、親族に向けることにしなければ。

 

 

 

細川たかし全曲集2015

細川たかし全曲集2015